2008年2月19日火曜日

あるドラマーの死

「敗残のドラマー 孤独の死」と、小さく報じられたその死、1972年9月1日の事でした。

白木秀雄、本名は柏倉秀康、1933年東京神田生まれ、「入ることがまず才能」と言われる東京芸大在学中にデビュー、ブルー・コーツなどの黎明期のジャズ・シーンを経て58年には自身のリード・バンドである「白木秀雄クインテット」を結成。

この頃には「ヤクザなドラマー」で有名な石原裕次郎主演『嵐を呼ぶ男』の吹き替えを担当。さらに、65年には権威あるベルリン・ジャズ・フェスティヴァルに日本人として初めて招かれ、日本の祭囃子を、琴を参加させて斬新にJAZZ化。まさ日本のモダンジャズの黄金期を築き、日本中から、そして世界からも新進気鋭の音楽家として将来を嘱望されました。

しかし一方で彼は確実に精神を病んでいました。63年の女優水谷良重との離婚、68年クインテット解散、そして72年、赤坂のアパートの一室で孤独死を遂げます。睡眠薬常用による薬物中毒とか。発見時は死後10日経っており、その死は現在でも大きな謎を残したままです。

そんな彼のクインテットはしかし、多くのJAZZの逸材を輩出します。pianoの菊地雅章、SAXのスリーピー松本英彦、ちなみに教育を受けた彼の甥である松本晃彦は、「踊る大捜査線」の音楽や様々なPOPミュージックを手がけます。そして、中でも晩年のクインテットに参加した大野雄二と、日野皓正は特筆すべきでしょう。

日野は、クインテット解散後、菊池らとともに渡米してアメリカで華を咲かせます。その才能を認められブルー・ノート・レーベルに日本人として初めて雇用された実力。現在でも堂々たる世界のトップ・プレーヤーの一人。

そして日本に残って大衆文化としてのJAZZを発信し続けたのは大野。数々のCMソング、『犬神家』や『野生の証明』などの映画音楽、そして何よりも著名な『ルパン3世』の作曲演奏。

アメリカで、マイルスやコルトレーンが多くのJAZZMENを輩出してきたのと同じ、白木秀雄という圧倒的な才能の前で、数々のミュージシャンが多くを学び、そして巣立っていきました。日野の"黒いオルフェ"に、大野の"ルパン・ザ・サード "に、白木秀雄の"サヨナラ・ブルース"がしっかりと沁み込んでいます。

ファンキーでクールだけどしっかりと流麗、そしてどこか物哀しげ、彼は更けゆく夜の赤坂で何を思っていたのでしょうか。自身の名曲"赤坂の夜は更けて"、奇しくも死地を取り上げることになるこの曲の演奏時間はものの1分半。才能に走り、才能に溺れた彼の生涯そのものような気がします。現代の我々が言える事は「実に惜しかった」の一言。だけど、その才能はかつてのクインテットのメンバーにより綿々と、そして確実に受け継がれています。

そう、『ルパン3世』にだってちゃんと継承され、どれだけ多くの子供達をJAZZへと引き込んだことでしょう。と言ったら、果たして言いすぎでしょうか。

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